アジア民族復興運動

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 報知新聞 1935.7.7-1935.7.10

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 人種問題(2-136)
報知新聞 1935.7.7-1935.7.10(昭和10)


アジア民族復興運動


(一)

フアッショの波に乗った民族復興運動はいま世界の各地にばうはいとして勃興して来た、殊にアジアにおける民族復興の叫びは厳然たる日本の進展振りにあこがれて益々高唱されている、支那にも、蒙古にも、インドにも、フィリッピンにも、さては国を追われたユダヤ民族にも故国パレスチナを慕う声があり、彼等はそれぞれ復興えの途を勇敢に歩んでいる、アジア民族がアジア民族本来の姿に帰るために―

蒋氏巧みに利用 支那 新生活運動がそれ

満洲は満洲民族本来の姿へ還り、しかもその満洲国は王道楽土に抱かれて伸々と更生の道を歩んでいる時蒋介石氏は各方面から反蒋運動をこうむり共産軍は益々増加猖獗を極め、満洲国独立以来民心は日に蒋介石氏から遠ざからんとしている、そこで彼が考えたのが支那民族の復興運動である、現在の支那民族は道徳的に全く腐敗し、粗野、卑わい、盗窃、乞掠が横行しこれが支那民族不振の根源であるから、民族を復興するには先ず国民の生活形態から改善して行かねばならぬという指導原理から、彼は昨年二月彼の共産軍討伐行営地南昌において『新生活運動』を提唱したのである、以来彼の新生活運動は忽ちにして支那全土に拡大し、津々浦々に至るまで提灯行列や映画、講演で大宣伝が行われている、しからば新生活運動とは何か
それは従来の不合理なる国民生活を放棄して合理的な新生活に入るということで、支那数千年来の国民道徳たる礼儀廉恥に基づいて生活を改善せんとするのである、即ち(一)整頓(二)清潔(三)簡朴(四)勤労(五)迅速(六)確実に生活することであり、これによって生活を芸術化し、生産化し軍事化せんとするのである、蒋介石氏が新生活運動を実施して僅か一ヶ月後に南昌市街では早くも

(1)素足、裸体通行人なし
(2)ボタンを外したり卑猥なる服装者減少す
(3)共同便所が清潔となる
(4)賭博や阿片吸煙者、未成年の喫煙いちじるしく減少す
(5)役所の宴会が少くなる

と新聞はその効果を謳歌している、なお京市長石瑛氏は新生活運動による国貨愛用に関し次の如く放送している
我中国は毎年巨額の綿花、米麦を外国から輸入しているが、外国はこの綿花、米麦を支那に売った金で兵器を作っている、小銃弾一発の製作費は約十銭であるが、我々が十銭の外貨を輸入することは一発の銃弾を買って我同胞を撃つことになるのだ!故に我々は絶対に外貨を排斥せねばならぬ……
新生活運動は結婚にまで及んだ、去る四月上旬上海市政府主催で行われた『新生活運動集団結婚』がそれだ
この結婚費は一組に付二円以上を消費すべからずと規定されている、当日新婦は白衣に花束を抱き、新郎は質素な紺服を着て五十七組が上海市政府大礼堂に入り、孫中山の遺像の前に極めて簡単な宣誓式を行い結婚証書と記念品をもらって式典は終了した、集団結婚はその後も各地に行われて成功を示している
更に新生活運動についての面白いのがモダン破壊団の出現である、この団体は去る三月杭州に結成され、次第に南京、上海、北平と拡大して来た、その宣言にいわく
本団は国難の重大に鑑み新生活運動の簡朴主義と国貨愛用に基づき組織されたもので

一、卑猥なる服装をなせるものたとえば女子にして衣服の紐をかけざる者は破壊す
二、奇異なる服装せるもの、たとえば殊更に広襟あるいは高襟等をなすものは破壊す
三、魅惑的な服装、たとえば曲線を露骨にする服装は硫酸を以て破壊す
四、婦女子の後を追う軟弱の徒輩あるいは外貨着用の者は断乎制裁す

この新生活運動に続いて起った民族復興運動としては更に(一)中国本位文化建設運動(二)科学化運動(三)識字運動(四)経済建設運動等があるが、文化運動は勿論三民主義を讚美するフアッショ文化であり、科学化運動はフアッショを根幹とする民族文化建設と同時に科学文化を建設し、武器の製造によって国難に処せんとするものである、蒋介石氏の提唱する新生活運動によって果して支那民族の復興に大きな期待がかけられるか否かは全く疑問であるが、支那が皮相的な西洋文明の無力さに感じ支那五千年来の道徳律を基調とする新生活に更生せんとすること及び日本の国民生活特に日本軍人生活を謳歌し支那民族復興にみずから目ざめて来たことはアジアの将来のため喜ぶべき傾向である

婦人は自ら織り全土に溢る反英 印度 憧れの的・日本!

『若し地上に天極あれば、即ち之なり、之なり!』この言葉はいまなお首都デリーの『王の宮殿』の朽廃したアーチに刻まれ、かってけんらんたる文化を誇ったアリアン王朝の地上の極楽境に万民が生を楽しんだとを物語っている、しかし華やかなアリアン王朝の末路は哀れに、いま見る三億五千万のインド民族は白人のしつこくに泣く姿となった、しからばインドは如何にして英国の属領となったか―
十二世紀に入って西欧諸国は十字軍の遠征以来初めて東洋の宝庫を知り、英国もまたゴールドラッシュの波に乗ってインドに渡り、時のモルガン王朝の許可を得て一六〇〇年東インド貿易会社を設立した、その後モルガン王朝の衰勢に乗じて英国軍はインド侵入を始めたので、インドは憤然として英軍と戦ったが戦い利あらず強力なる英国勢力の前に一敗地に塗れてしまった、ここにおいて英国は完全にインドを属領として支配するに至ったのである
その後英印の抗争は幾度か繰返され、英国の羈絆を脱せんとするインド民族の運動は益々高まって来た、故に英国はインド民族懐柔の一手段として一八八五年国民会議を開き、インド人の議員を会議に出席せしめ、英国の施政に関するインド人の意見を聞き両民族の融和を計らんとしたのである、しかし融和の殿堂たるべき国民会議は一変してインド民族の英国に対する不平、不満を爆発させる修羅場と化し、ついにインド民族独立運動の揺らんとなったのである、時あたかも日本は強敵ロシアを撃破して西欧勢力の東洋侵入を食止めた、インド民族はこの日本の実力に刺戟され、今こそアジア民族の立つべき秋だと痛感し、対英反抗はいよいよ熾烈となった、一九一四年世界大戦が始まるや英国はインドに妥協を申込み、若しインドが英国を援助すれば英国は戦後インドに自治を与えることを約束した、故にインドはこの約束を信じて軍隊と軍資金を送って英国を援けた、しかし戦後英国は完全に約束を裏切った
この時聖雄ガンジーが現れ彼は不服従の反抗、非協同主義によって英国製品の不買、税金不納等を全国に徹底させた、英国は困ってガンジーをロンドンに呼んで円卓会議を開いたが目的を達せず、彼は帰来し盛んに反英運動を続けた、老齢のために彼は昨冬国民党首領を隠退したがインドには最早第二のガンジーが野に溢れている、はうはいたる自治要望の声を容れて英国議会では今春インド連邦政府新憲法を通過したことはインド民族のみならず、我アジアのためにまことに喜ぶべき現象である、しかし新憲法とても決して事新しいものではなく、現行中央政府組織と大差はない、最近のインド独立は最早ガンジー翁の生ぬるい平和的不服従運動にあきたらず、進んで反英抗争を叫ぶ声が次第に高くなって来た
今や民族更生の運動は全土に徹底し、現在のインドはタバコを吸う者、酒を飲む者は次第に姿を消して行く、婦人は自ら紡車を操り自ら織る、これは決してインドが原始の昔に返ったのではない、英国製品のボイコットによって英国に経済的打撃を与えようとするのだ、それが武器を奪われたインド民族の唯一の更生策でもある、アジアはアジアの手で守りたい意向から彼等が日本をあこがれる希望は次の如く叫ばれている
日本は日清、日露の両役で数十万の生□を犠牲にして西方勢力のアジア侵入を食止めた、若し日本が敗れていれば恐らくアジアは西方勢力の爪牙に攪乱されたであろう、しかも日本には一まつの野心もなかった、即ち日本は同胞の血肉を以て獲得した山東半島及び膠州湾を惜気もなく還附したではないか、最近の満洲事変にはまた同様莫大な犠牲を払ったにも拘らず三千万民衆の□望を溶れて立派な独立国家としたではないか、我々はこの正義国日本をアジアの盟主と仰ぎ光輝あるインド民族の復興に猛進せねばならぬ……

若き血潮に蘇る成吉思汗の偉業 力強き蒙古の覚醒

印度民族が次第にその巨体を持上げて来たことが英国にとって大きな癌である如く蒙古民族が眼りから覚めて来たことは支那にとって一大驚異であろう、蒙古民族はかっては欧亜にまたがる大帝国を建設した英傑成吉思汗の子孫であるが、その後盲目的な喇嘛教の崇拝と漢民族の蒙古懐柔政策のために気力を失いついに原始の昔そのままの遊牧の民となったのである
併し蒙古はいまだかって支那の属領であった歴史はない、蒙古は満洲朝廷の属領であり、従って満洲朝廷には服従したが支那には決して服従していない
故に蒙古民族は現在とても愛親覚羅の満洲民族に対しては兄弟の親しみを持っている
その後清朝が亡びるや蒙古は支那の辺境として取残されたのみならず、漢人官僚が跋扈し蒙古の疲弊がいよいよ深刻となった
ここにおいてかねて東方進出の機をねらっていた露国はこの時とばかり蒙古を煽動しついに外蒙共和国を建設した、外蒙独立するや呼倫貝爾の蒙古族もまた旗を揚げたが忽ち支那軍のために撃破されてしまった、近くは昭和七年満洲国が独立し熱河及び呼倫貝爾方面の蒙古旗は満洲国に帰属し王道楽土を謳歌しつつ喜々として更生の道を歩んでいる、取残されたのは支那に所属する察哈爾省、綏遠省の蒙古民族である
問題はこの二省の蒙古民族である、以上述べた外蒙の独立及び呼倫貝爾、熱河方面の満洲国参加のこの二大衝動に刺戟されて察哈爾、綏遠の蒙古民族復興運動は俄然表面化して来た、ついに昭和八年夏には二ヶ月にわたる内蒙各旗王公代表会議が綏遠省の百霊廟において開かれた結果

(1)蒙古民族の自決
(2)内蒙自治政府樹立

を決議しこれを南京政府に突き付けたのである、狼狽した南京政府は内政部長黄紹雄氏等を百霊廟に派遣し『南京政府は内蒙自治宣言を認めず』と脅迫したが、これに対し蒙古民族復興運動の首魁徳王は
孫文の国民政府建国の大綱に規定されたる民族の自治自決に基いて内蒙自治政府を樹立するに対し南京政府がこれを阻止するとは何事ぞ!
と反問し流石に黄紹雄氏も顔色を失ったというエピソードもある
結局綏遠、察哈爾を連合自治区とすることに決定したが、南京政府はその後右決定を破って勝手に自治法案を修正し、しかも自治政府には南京派の役人を任命し徳王及び彼を支持する蒙古青年の自治運動を封鎖してしまった
蒙古民族復興運動を談ずるに当って我々は徳王を除外することが出来ない、徳王は察哈爾省シジンゴル盟の副盟長である、彼は
我々は成吉思汗の名を辱めてはならぬ、ソヴィエットの圧迫を排撃し無力なる支那の羈絆を脱して蒙古民族の自決を敢行せねばならぬ……
と提唱し衆望を集めている、彼は東西の事情に通じ日本はもとより時にヒットラーやムソリーニを談論する、彼はつとに日本にあこがれ幾多の留学生を日本に送って第二の蒙古民族の養成に没頭している、蒙古路を旅した日本人で彼の世話にならぬ者はない程に彼は親日的である、かくて徳王及び彼を支持する諸王公やとりわけ青年の民族運動は俄然勃興して来た
彼等が支那から圧迫され、軍隊を強要され私財を掠奪されても反抗する力なく天に訴え地に歎いた時代は最早過ぎ去って行く、蒙古民族は日本、朝鮮、満洲、トルコ、ツングース等と同じウラルアルタイ民族である
我々は彼等に農耕の道を教え医術、教育、交通、通信の機関を施し温い救いの手を差延べねばならぬと思う
内蒙が覚醒し確固たる勢力を建設することは外蒙を通じて南下せんとするソヴィエットの赤化運動を阻止することでもあり、それは単に内蒙の幸福であるのみならず支那自身の保全であり、またアジア和平の根本問題であろう

“ニッポン”を盟主に全アジア今や起つ 見よ!欧米の戦慄ぶり

世界大戦に勝ち誇った英国はトルコの首都コンスタンチノープルを占領し更にギリシア軍は英国の走狗となってスミルナを占領した、当時のトルコは引続く敗戦のために疲幣困ばいのドン底にあったが、祖国の急を知ったトルコ民族は彼の有名なアジア民族運動の大英雄ムスタフア・ケマル・パシャを陣頭に敢然として起上ったギリシア軍の進出いよいよ拡大するやケマル将軍は十万のトルコ軍を指揮して二十万のギリシア軍とアンゴラに最後の一戦を試みた、婦人軍や少年軍が健気にも第一線に立ってトルコ兵を激励したのもこの時の涙物語である、トルコ軍は死力を尽くして決戦した結果ギリシア軍を全滅し、その背後に糸を引く英国勢力をも完全に撃退したのである
かくて第一次バルカン戦争以来相次ぐ敗戦に気力を失っていたトルコは僅か四年間で再び廃きよの裏から起上ったのである、今やトルコ民族は更生の意気に燃え、特に強力なる第二の国民を養成すべく青少年に対し民族意識の吹込みに専念している
トルコと時を同じうしてエジプトペルシァのアジア民族も英国の羈絆を脱して独立国となった、かくの如くインド、支那、蒙古、トルコその他ペルシァ、エジプト、アラビア、シアムアフガニスタン等がそれぞれアジア民族復興に覚せいし、その運動が益々勃興し来ったことはアジアのために真に喜ぶべき事実であるが、白人はアジア民族の蹶起を恐れて民族復興を必死に食止めようとしている
たとえばインドにおける英国はインドの工業を徹底的に破壊し、インドの工業はすべてマンチェスターに集中し、これによって英国製品をインドに輸出している、即ち英国はインドから原料を奪い、それを英国工場で製造しインドに売付けているのだ、すべてがかくの如く白人はアジアの経済発展を封鎖しているのみならず文化の発展民族の更生を封鎖しているのであるしかし如何に圧迫しようともガンジー翁が幾度か獄舎にブチ込まれながらも悠々紡車を紡いで『民族自決の真理は必ず通るのだ!』と叫んだように必ずその時が来るに違いない
嘗て英国で『若し支那人が寝衣の袖をもう一インチ長くしてくれるなれば英国の失業問題や労働問題などは立所に解決されるのだが……』といわれたと聞いているが、それこそ真理であろう、仮りに支那四億民衆の購買力が一日に一銭ずつ増加すれば一年には十四億六千万円の購買力の増加となる、三億五千万の民衆を持つインドでは一年十一億円の購買力を生ずることになる、僅か一日一銭の生活費増加でも右の巨額に達するまして十億を算するアジア民族の文化、生活が向上すれば実に莫大の消費力をもたらすことになり、国際経済の回復にも素晴らしい効果を提供することが出来よう
然るに白人がアジア諸民族の伸びんとする生活力を封鎖しているのは却て自らの墓穴を掘るに等しい、アジア諸民族が覚せいし復興することは単にその個々の民族の幸福であるのみならず、アジアの平和であり世界の繁栄であるのだ
日露戦争で日本がロシアの大軍を一蹴し西欧勢力を完全に敗退せしめたことが、今まで西欧勢力の圧迫には到底抗争し得ないと観念していたアジア諸民族に対して強い刺戟と新しい希望を与え、ついにエジプト、トルコ、イラン(ベルシア)の独立となり、インドの奮起を喚起したことを我々は想起せねばならぬ
これと同じく最近の力強いニッポンの躍進振りは更にアジア諸民族の血潮を高潮させ民族更生の道を進軍している、我日本こそ全アジアの盟主であり、目覚たるアジア民族の指導者である、全東亜の諸民族は今こそ『アジア民族のアジア』にかえらんとする真剣なアジア民族復興運動に邁進しつつあるのだ、我等はこの前途に対し祝福を捧げたい(完)


データ作成:2008.4 神戸大学附属図書館

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10014518&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 

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