We cheered the Japanese soldiers as they marched through the Malay Peninsula

15. A Malaysian’s View on the War

Just take a look at the view of a Malaysian on the rule of “militarist” Japan. Mr. Raja Dato Nong Chik, former member of the Malaysian House of Representatives, was a key person in the establishment of Malaysia’s independence from the UK. At the age of 16, he came to the Japanese occupation forces after British forces had been defeated. The Japanese army had established a training center where the local young people were trained physically and mentally. They inspired the spirit of independence in those colonized or oppressed countries in Asia, Africa and South America, and even in Europe. After an evaluation at the center in 1943, Nong Chik was selected as one of the Japanese Special South Scholarship 1st term students, who were expected by Japan to become the leaders in Asian countries liberated from European control. Many scholarship students, including Mr. Nong Chik, spearheaded independence movements and led their countries into independence after returning to their homelands. The students’ determination was, “Japan has been exhausted and defeated in the fight for Asian interests; now we will carry on Japan’s war as our own.” After fierce combat with the British army, Mr. Nong Chik at last achieved the independence of Malaysia. Some of those who established ASEAN are said to be students of the Japanese Special South scholarship program.

Below is an excerpt from the writings of Mr. Nong Chik.

“Japanese soldiers drove out the forces of Western Europe, which had colonized the nations of Asia for many years. They surprised us, because we didn’t think we could possibly beat the white man, and they inspired us with confidence. They awakened us from our long slumber, and convinced us to make the nation of our ancestors our own nation once again. We cheered the Japanese soldiers as they marched through the Malay Peninsula. When we saw the defeated British troops fleeing, we felt an excitement we had never experienced before.”

http://eumajapan.blog.fc2.com/blog-entry-37.html

http://eng.the-liberty.com/2015/5938/

http://touyoko-ensen.com/syasen/kanagawa/ht-txt/kanagawa01.html

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/6646/vol4.html

「日本人よありがとう」
歌 栗間尚彦/橋村輝子
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ラジャー.ダト・ノンチック作詞
田中舘貢橘作曲

みずからもひもじい時に配給のわずかなパンを持ってきてくれた乙女ら
ああ日本は美しかった真白き富士の気高さと歌う黒髪瞳清らか

空襲のサイレン鳴れば真っ先に僕らを壕に案内してくれた若者
日本人はひたむきだったアジアのためのたたかいに力尽くして彼等は散った

戦いに敗れた後の生きるすべあてない街で励ましてくれた友らよ
日本人は親切だった独立のため生き抜けと握り合う手に涙こぼれた

あの頃は苦しかったがアジアには平和おとづれ民はみな祖国を持った
ああ日本の若人たちよこころを継いであたたかく共に栄える明日に進もう

ああ日本の若き友らよこころとこころ結び合い豊かなアジア共に築こう

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです」(ラジャー・ダト・ノンチック)

その名はF機関:完全版…大東亜戦争の英雄・藤原岩市

かつて日本人は清らかで美しかった。かつて日本人は親切で心豊かだった。
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた。

何千万人もの人の中には少しは変な人もいたし、おこりんぼや 我が儘な人もいた。自分の考えを押しつけて
威張ってばかりいる人だっていなかったわけじゃない。

でも、その頃の日本人はそんな少しの嫌なことや不愉快さを越えて大らかで真面目で希望に満ちて明るかった。戦後の日本人は自分達日本人のことを悪者だと思い込まされた。学校でもジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから真面目に自分達の父祖や先輩は悪いことばかりした残酷無情なひどい人達だったと思っているようだ。だからアジアの国に行ったらひたすらペコペコ謝って、私達はそんなことはしませんと言えばよいと思っている。そのくせ経済力がついてきて技術が向上してくると自分の国や自分までが偉いと思うようになってきて、うわべや口先だけでは済まなかった、悪かったと言いながら独りよがりの自分本位の偉そうな態度をする。

そんな今の日本人が心配だ。本当にどうなっちまったんだろう、日本人は。そんなはずじゃなかったのに。
本当の日本人を知っている私達には今はいつも歯がゆくて悔しい思いがする。

自分のことや自分の会社の利益ばかりを考えてこせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人は、これが本当の日本人なのだろうか。自分達だけでは集まって自分達だけの楽しみや贅沢に耽りながら自分がお世話になって住んでいる、自分の会社が仕事をしているその国と国民のことを蔑んだ眼でみたりバカにしたりする。

こんな人達と本当に仲良くしてゆけるだろうか。どうしてどうして日本人はこんなになってしまったんだ。

マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック

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