印度・ボース

大正4年から昭和20年にかけて、日本に、印度革命の志士として世に名の通っていたラス・ビハリ・ボースという人が住んでいました。彼は日本語で17冊もの本を出版していますが、最初のうちは自分の名前を印度・ボースと記しました。

ボースは日本人達に大変人気があって、全国各地から講演にと引っ張りだこでした。当時の新聞に目を通すと、ラス・ビハリ・ボースが、いかに時の人としてマスコミによく取り上げられていたのかが良く解ります。

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ラス・ビハリ・ボースは、昭和天皇から勲二等旭日重光章を叙勲、霊柩車の御配慮まで授かったといわれるほど日本にとっても大切な人物なのです。

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その歴史的に重要な人物が今ではすっかり忘れ去られています。そんなラス・ビハリ・ボースを研究しているうちに素晴らしい宝を見つけたという手応えがありました。それをいくらかでも紹介出来たらと思います。

このサイトには直接ボース自身の著作物ではなく、ラス・ビハリ・ボース研究には必要不可欠な時代背景や政治背景などを含んだ情報やビデオリンクが載せてあります。

ラス・ビハリ・ボース自身や彼による著作物に関する研究はもう一つのサイト、

「日本のボース」

を御覧ください。

 

出版物

私が研究して纏めたことをキンドルブックとして出版しました。この本では、ラス・ビハリ・ボースを今の日本皆様に紹介し、日本とインドが先の戦争で如何にして、共に生死をかけて戦ったかということを描きました。そして、日本のカレー文化というものが日本が大英帝国主義に翻弄されてきた歴史を反映した興味深いものであることを定義いたしました。

この本を読むことで、今の社会を別な目で見直すようになると思います。参考にしやすいように纏めてありますので宜しかったらご一読下さい。

日本のボースとカレー 

―大東亜戦争に見る日本とインドとの接点―

(上)2018年11月5日出版

(中)2018年11月27日出版

(下)2018年12月8日出版

お知らせ

ラス・ビハリ・ボースが亡くなったのは1945年1月21日午前2時5分です。

ボースの命日に追悼の意を表して日本時間2019年1月20日午後5時0分から翌21日午後4時59分まで「日本のボースとカレー(下):大東亜戦争に見る日本とインドとの接点」を無料配布いたします。

何箇所か訂正しましたので、前にダウンロードなさった方は、前のキンドルファイルを消去なさってからダウンロードし直してください。

 

英語でのラス・ビハリ・ボースの簡単な紹介

日本でほとんど忘れ去られてしまったラス・ビハリ・ボースは、彼の祖国インドではどうでしょうか。意外なことにボースに多大な恩恵を被ったインド人はさっぱりボースを忘れてしまっているようです。

英語で書いてあることについては下記のように短く纏められますが、ボースに関する内容が詳しくなればなるほど間違った記述が多いのです。それも作為的に捻じ曲げたのではないかと思われる点が多いのです。

数少ない論文や本が出ていることは出ていますが、英語という言葉がイギリス帝國の言葉であるものですから、当然の事ながら、英国のプロパガンダの影響が滲み出ていて、かなり事実が歪められているのが実情です。

Rash Behari Bose (1886-1945) was a naturalized citizen of Japan.

He started living in Japan in 1914, married a Japanese lady named Toshiko Soma in 1917, had two children with her, and became a Japanese citizen in 1923.

He and his Japanese family selflessly dedicated their lives to the people of India who were suffering under the oppressive British regime.

Although their contributions are seldom acknowledged,  their work was one of the greatest key factors in the independence of India.

日本人には、戦後、GHQによる洗脳作戦によって歪められた歴史認識を持ち、西洋的価値観を持っている人が多いので、そのような日本人が書いたラス・ビハリ・ボース像は、英米のものの写し鏡のようなもので大差がありません。

 

名前について

ラス・ビハリ・ボースはベンガル人ですから、本名はベンガル語のরাসবিহারী বসু です。何と言ってもそれが正しい名前なのですが、その発音を様々な種類の表音文字で書き留めると、ずれがおきてしまいます。残念ながらこれが表音文字の限界です。

印度で広く使われているデーバナーガリー表記でさえ最低3種類あります。

  1. रासबिहारी बोस
  2. रासबिहारी बसु
  3. रासविहारी बसु

英語では一般に次の2つのスペルで表記されています。

  1. Rash Behari Bose  
  2. Rashbihari Boshu

日本語の表記も又さまざまです

  1. ラス・ビハリ・ボース
  2. ラース・ビハーリー・ボース
  3. ラースビハーリー・ボース

上記の英語とカタカナ表記の中で本人が使っていたのは両方とも1番なので、本人の意思を尊重して私は1のRash Behari Boseとラス・ビハリ・ボースを使います。

ラス・ビハリ・ボースの名前について辞書で調べて分かったのは次の通りです。

রাশ1 [ rāśa1 ] n the reins, the bridle. রাশ আলগা করা v. (lit. & fig.) to give rein to, to give the reins to. রাশ টানা v. to draw rein, to pull up; to restrain or bring under control, to give little freedom to.

বিহারী  people or language of Bihar

বসু  thunder; n one of a class of demigods

The etymological origin of the word बिहार is the Sanskrit word विहार.  The region roughly encompassing the present state was dotted with Buddhist vihara, the abodes of Buddhist monks in the ancient and medieval periods. Please read the history of Bihar

ラス・ビハリは、正確にはラーサビハーリーであり、その意味は「手綱を握るビハール人(ラス・ビハリ個人)ということです。そしてビハールという地は仏教で栄えた叡智ある人の住む所なのがとても意味が深いです。ボースは正確にはバスで意味的には「半神半人、神格化された英雄、崇拝される人物」です。かなり良い名前なのです。

 

必読文献

1982年に『知られざるインド独立闘争―A.M.ナイル回想録』を出版した( “An Indian Freedom Fighter in Japan” by ORIENT LONGMAN, 1982. 邦訳は1983年)。

A・Mナイルはこの本を出版した目的として、スバス・チャンドラ・ボースの過大評価と、ラス・ビハリ・ボースの過小評価を正すことを挙げています。

例をあげると、日本軍が占領したアジア地域に住む二百万人近いインド人の生命と財産を保全したのは、大本営に働きかけ、的確な命令を出してもらうことに成功したラス・ビハリ・ボースおよびナイルの功績でした。

 

日本語の記事

日本語の記事は比較的少ないのですがリンクを貼っておきます。内容的には不的確なところもなきにしもあらずですが、どうぞご参考にしてください。

 

日本ではラス・ビハリ・ボース関係のTV番組なども作られました。不正確ではありますが、ラス・ビハリ・ボースに興味を持っていただく第一歩にはなると思います。

 

 

昭和33年~34年公開の月光仮面をよく見ると印度人独特のターバンをしめているんですね。月光という名もチャンドラボースを思わせ、三日月がシバを思わせます。ちなみにシバは大黒天であり大国主命、つまり出雲大社に祀られる 「国譲りの神」と思えば、この発想にもこのような思いが込められていたのだと思います。

そして、続いたのが怪傑ハリマオ。ここではマレー人のような人が日本人を救ってくれます。それも悪人はアメリカ人と支那人のようですね。昭和30年代にはまだまだ西洋崇拝に溺れていなかったことが垣間見られて興味深いです。

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